1961年の送辞

つのさんの高校2年のときの送辞です。

つのさんの真面目な性格と高校生なのにしっかりした論理構成に感心します。

こぼれ話 / 2006-10-25 00:07:29 1960年前後の、土佐の高知の高校生達の、青春の一ページ②

送 辞(1961.3.1高知県立中村高校卒業式 生徒会代表:津野豊臣)

 お別れのときが参りました。親しいもの同士の別れが 何となくもの悲しく、センチメンタルに感じられるのは いつの時代でも同じことだと思います。 まして皆さんが、学校という温床から、悪魔の黒い影に 覆われたような厳しい社会へ船出していかなければならないことを 思うと私達の気持ちも複雑にならざるを得ません。  けれども私達は卒業されていく皆さんに何の躊躇もなく、心から 「卒業おめでとう」ということができます。 かつてある人が大学の卒業生に対して、 「私は諸君を社会に送り出すに際し、羊を狼の群がる荒野に 放つような気持ちである」という言葉を贈って、 青年の未来を心配してくれたことがあります。 確かに戦後16年、日本国民があの悲惨な戦禍の犠牲の上に 打ちたてようとした民主的で明るく住みよい社会への願いは、 霧の中に消え去ろうとしているかのように思われます。 自衛隊という名の軍隊の出現、勤務評定による教育の権力支配、 私達の二度と帰ってこない青春の時期に重くのしかかる 安保体制等と数え上げればきりがありません。 未来に生きることが私達の特権であるとすれば、こうして 未来を奪われていくものの中に非行、カンニング等といった形で 人間性を破壊されようとする傾向が現れてくるのも自然の勢いだとも 言えないこともありません。  こういう暗い時代の谷間にあっても皆様は、そういう嵐をつききって 幸福に人間らしく生きることの可能性を それぞれの手の中に握っているからこそ、私達は心から “おめでとう”というのです。  皆さんは、日本の未来を担う者としての勇気と知性を、 中村高校三年あるいは四年の間に養ってこられました。 鋭い感受性をもって、互いに愛し合い、あるいは傷つき合い、 悩みながたたかってきた生活の中から暗い社会に灯をともす 力を得られたということを疑うことはできません。  もちろん、私達は現代の社会を甘く見ようというのではありません。 人間を商品化しようとする社会。 それゆえに友人を蹴落とし、押し退けての就職や進学。 そしてその後の長い立身出世主義的歩み。 考えてみると唯、暗く、空虚です。 現在の私達をとりまく暗さ、空虚さが、 人を蹴散らしてして自分が生きなければならない社会の成り立ちや、 それを無条件に是認し、あわよくば群を抜いて英雄になれという 周囲の人の期待の強さや、それに反発しながらも、 自分にしか頼る場を見出せない 若い世代の弱さに原因していることも感じざるを得ません。  けれども、私達はいたずらに恐れ、不安がりません。 今は弱いように見えるが、実は広く皆の胸の中の共鳴・共感を得て やがて強く大きくなるものと、 今は強大に見えるが根底に反人間性を抱いているために、 必ず歴史の流れに消え去っていくものとを、 私達は見抜くことができます。 歴史の流れはそのことを教えてくれますし、 人が沢山行き交えばこそ、そこに道ができます。 よく人々は、上のほうばかり見ずに足もとを見て歩けといいますが、 足もとばかりでなく巨視的に長い歴史の流れを見つめなければ なりません。そうする時、私達の手のひらに握られているのは 日本の将来だということを感ずることができます。  今、私達の力は微弱かもしれません。 それでも、私達はある程度の身体的安全はあるが、 そのかわり不健康な霧やもやの立ち込める低い谷間で生活するか、 それとも仲間のために危険を冒しながらも、 高地の新鮮な新鮮な空気を呼吸し、広々とした眺望を楽しみ、 日の出を迎えるために高い山に登るか、 二筋の道を前にしたときには、どちらの道を選ぶべきかを知っています。 どちらを選ぶべきか迷うときには、苦しい方を選べという言葉を胸に 抱きしめています。僕たちの力は弱くともゼロではありません。 小さい力もその努力が歴史の流れにとってプラスである限り、 やがて大きな歴史の歯車を前に回すことができます。                             日本の現実の暗さは確かにあります。 例えば、期限が向こう十年という安保条約の下の社会で、 私達は、職を得、愛する人を得、結婚し、父となり、母となっていく のであるし、それは疑うべくもなく今日の延長としてやってきます。 しかし、こういう時代は、逆にいうと 巨大な未来が拓けてきている時代なのです。 宇宙時代の序章は既に書かれました。 植民地廃絶、軍縮への道を歩む世界史の流れを見れば、 私達の青春は明るい未来を求め、信じていけると思います。 こういう社会の中に皆様は巣立っていきます。  私達は、静かに勉強することを望んできました。 けれども政治の方から、私達の方へと歩いてきました。 安保条約改定問題と単独強行採決による批准問題で社会が揺れ、 それにつながる学園が揺れたとき、激しい議論を交わしながらも、 日本の大地に若々しい民主主義の種をまき、揺らぐ社会の中で 揺るがぬ人間に成長して皆さんは今巣立っていきます。 そして、巣立っていっても決してばらばらに孤立していくことはない でしょう。学校にいるときには同じ世代の仲間と、暖かい、 未来に確信をもってたたかう先生方に包まれてきましたが、 これからは働く仲間の温かい手に握られ、 かたいスクラムに守られているでしょう。  自然も長く厳しい冬に耐えて春への営みをつづけています。 根を深く伸ばした草木は今、春への準備を終えて力強く 成長しようとしています。 それは皆様とその行く先を暗示してくれています。  最後に、勉強に、生徒活動にと、至らぬ私達を指導してくださいました 皆様に深い感謝の気持ちを表すと同時に、 諸先輩の残してくれた不滅の伝統を受け継いでいきたいと思います。 働く若者として誇り高く前進していく皆様のご幸福を祈ります。    1961年3月1日                           生徒会代表 津野豊臣

1日一度は 人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (2)

1960年前後の、土佐の高知の高校生達の、青春の一ページ

こぼれ話 / 2006-10-23 00:17:02
つのさんの高校時代が良くわかります。
つのブログからの引用です。

1960年前後の、土佐の高知の高校生達の、青春の一ページ  先日、“プールでちょっとひと泳ぎ”を書いたとき、 「高校時代は、生徒会活動や民青同盟の活動などで 水泳から離れていました」と、ふれました。 そのときふと、「俺は一体どんなことをしていたかな?」 思い返したんです。 それで浮かんだのが卒業式で送辞を述べたことです。 この原稿書きで苦心惨憺しました。 確か持っていたはずと、あちこち探し、ついに発見。 今と同じ汚い字で横書きした原稿用紙8枚です。 酸化して穴があいた所もある。何しろ45年前のものです。 読んでみました。確かに、先輩卒業生に贈った送辞ではありますが、 今思うと、多くの仲間達と共に、高校2年生で17才の私が、 必死に打ちたてようとした自分自身の“青春の道標”でもありました。 せっかく探し出した私の青春の一ページ、活字にしておこうと 打ちはじめました。  送辞では具体的に述べることは差し控えましたが、 私達、当時の高知の高校生は、高知県高校生徒会連合として、 各校生徒会として様々なたたかいを体験していました。 例えば、勤評反対を貫いた10数名の校長先生への「首切り」に 反対したたたかい、学力テスト反対や安保反対でおこなった 全校ストやデモ行進などなどです。 全て生徒会総会での大激論の末、 民主的総意をもっておこなったものです。 私は、2年生後期の生徒会長として「学テ反対」のたたかいに あたりました。 私の送辞原稿には、当時の高知県の高校生誰もが体験した、 こうした背景があるのです。  私は、書道、音楽とともに国語と作文が全く苦手でしたので 一面気恥ずかしい思いがありますが、ブログに載せます。 1960年前後の、土佐の高知の高校生達が、 自分達が担う可能性に満ちた未来への道を求めて、 その道を閉ざそうとする動きといかに果敢に立ち向かっていたか、 この素晴らしい青春の躍動の歴史的一ページを忘れられてはならい、 この思いに駆られたからです。   黒潮の怒涛のように、逞しく生きる独立と自治の道   友情の固い絆に、若い血は躍る、自由と平和の行く手   ああ生連旗、生徒会連合、進め、進め   これは、高知県生徒会連合の歌です。1番ですが、正確かどうか。 いつも歌っていました。2番、3番があったかどうか思い出せません。 次回は、「送辞」 (1961.3.1高知県立中村高校卒業式 生徒会代表:津野豊臣)を載せます。

1日一度は 人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)